当サイト(ノメルヨ)管理人のプロフィール

愛知県名古屋市に住む31歳の独身男性です。
お酒が好きで、毎日の晩酌でハイボール4杯は飲んでいます。


愛飲のハイボール用4Lウイスキー
(ブラックニッカ)

飲み会も大好きです!
友だちとの飲み会、会社での飲み会を問わず楽しめます。

これまでずっとお酒に縁のある環境にいたため、お酒についての知識や飲み会での立ち回り方にはそこそこ自信があります。

このページでは、私がお酒好きになった経緯や、私とお酒との関係について書こうと思います。

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私のお酒の強さの程度と、泥酔したときの特徴

お酒は、多分なかなか強い方だと思います。

泥酔するまでの平均飲酒量(ビール換算):ビール6杯
1回の飲み会での最高記録:ビール3杯、ハイボール3杯、日本酒4合
私が泥酔したときの特徴:目が据わる、口が常に半笑いになる、顔が赤黒くなる、体をぐるぐる回す、耳たぶを執拗にさわる
※ビール、ハイボールは500mlジョッキ

始めてお酒を飲んだのは大学生のときでした

私がお酒を始めて飲んだのは大学に入ってからでした。
それまでは、一切お酒を飲んできませんでした。

お盆の親戚の集まりや、地区のお祭りのときに大人にすすめられてペロッと舐める程度で、自分から飲むことはありませんでした。

始めてお酒を飲んだのは、大学のサークルでのお花見のときです。
4月の寒空の下、大学構内でブルーシートを敷いてチューハイやスナック菓子をたくさん用意して飲みました。

初めてのお酒でしたが、体質のおかげで気持ち悪くなることはなく、これまでにないほどテンションが上がって気持ちが大きくなりました。

変な遠慮や、言いどもることがまったくなくなり、先輩や同期ともおもしろく話せて、「お酒の力ってすごい!」と感じました。

そのときのお花見は本当に楽しくて、いっぺんでお酒が好きになりました。
今思うと、おそらく周りの先輩や同期からは「うるさくて空気が読めない奴」と思われていたかもしれません……。

また、お酒が好きになったのには、私の同期に酒飲みが多かったのも影響していると思います。
夏休みや年末年始には、同期と毎日のように集まり、宅飲みをしていました。

入ったサークルも、大学公認のボランティアサークルでしたが飲み会の頻度が多く、毎月のように飲み会がありました。

飲み会の度に、同期や先輩と仲良くなれた気がします。

ちなみに、卒業が近くなってからは、主にビールや日本酒などを飲むようになりました。
その頃からは、なぜかチューハイなどの甘いお酒を飲むと次の日に気分が悪くなるようになりました。
お酒によって相性があるのかもしれません。

大学のときの友人とは、卒業して4年以上経っても未だに交流があり、近いところに住んでいる人とは毎月のように会って飲んでいます。

東京の広告代理店に就職!毎月1回は飲み会をしていました

大学卒業後は、東京の広告代理店で働きました。

その会社ではお酒好きな人が多く、月に1度は飲み会がありました。

会社の上司はとても細かく指摘してくれる方で、私の飲み会でのマナーに問題があったらやんわりと注意してくれました。
そこで、会社の飲み会での基本的なマナーや立ち回り方などを学びました。

飲み会の費用を会社が全額負担してくれたのも嬉しかったです。

社長が社内のコミュニケーションをとても大切にしてくれる方で、毎月、部署ごとに「親睦を深めるための飲み会費用」を出してくれました。

冗談みたいですが本当の話です。

それも結構な額だったので、普段自分では絶対にいかないような、お店の人が肉を焼いてくれる焼肉屋に行ったりしました。

お酒を飲みすぎての失敗談も多いです

お酒で楽しんだ経験はたくさんありますが、お酒での失敗も多いです。

最悪だったのは、会社の同期と一緒に銀座のガールズバーに言って、12万円のシャンパンを注文してしまったことです。

始めて行ったガールズバーで緊張していたのと、飲み放題だったせいで、普段ならあまり飲まない「梅酒のロック」や「ウイスキーのロック」をたくさん飲みました。

そのときの記憶は途中から完全になくなっており、気がついたら屋根付きの知らない駐車場の隅っこで寝ていました。

11月だったので非常に寒く、本気で「死」を覚悟した瞬間でした。

財布とスマホを入れたビジネスバッグも失くしてしまい、あったのは、なぜかポケットに入っていた数百円の小銭だけでした。
すぐに近くにあったマクドナルドに入り、ハンバーガーとコーヒーを注文して寒さをしのぎました。

その日は平日だったので気力を振り絞って会社に向かいました。
不幸中の幸いだったのは、その駐車場が会社に近いところにあったことです。

服には嘔吐物の臭いが染み付いていたので、会社に着いてから同期にお金を借りてファブリーズを買って、臭いを消すためにかけまくりました。

会社の女先輩から、すれ違いざまに「香水つけてる?」と聞かれたときは、全身から脂汗が吹き出したことは未だにトラウマです。

また、クレジットカードを失くしたので、使用停止にするためにカード会社に聞いたところ、「高額の支払いがありましたが、カードを利用されましたか?」と確認がありました。

そこで、12万円のシャンパンを飲んだことを知りました。
冗談なしに、後頭部をぶん殴られたような衝撃を受けたこと覚えています。

お酒を飲みすぎたことを本気で後悔した一日でした。
まあ、それでも数日したら普通に飲み始めましたが……。

退職後は、岐阜の田舎でたくさん飲む生活が続きました

東京での生活がどうも合わなかったので、退職後は、岐阜の北の方にある実家に戻ってきました。

地元では、昔ながらの伝統や文化がまだまだ残っています。
地区の消防団や、お祭りや、草刈りや……で駆り出される日々です。

そして、人が集まるその度に飲み会があります。
田舎だと、お酒は切っても切り離せない文化といえると思います。

すごいのは、そうした飲み会の費用がほとんど市や区から出ていることです。
自分ではお金を出さずに、たくさん飲み食いできます。
特に消防団では、月に2回の簡単な定例会ごとにタダ酒が飲めます(こんなことを書いて良いのか不安ですが……)。

ただ、上下関係も未だにあります。

近年は若者が少なくなり、地区の集まりを断られないようにするためか、そこまで厳しく言う人は少なくなりました。
それでも、まだお酒の席での振る舞いに対する目は厳しく、私も慣れるために努力していました。

東京暮らしが長かったこともあり、最初はかなりぎこちない動きでしたが、お酒が好きなおかげもあってか、頻繁にある飲み会もそこまで苦ではなく、なかなか楽しめていました。

2年ほど経ったあたりでは、かなり馴染めており、そこそこ信頼される中堅どころの立場にはなっていました。

しかし、中堅=集まりに顔を出す機会も増えていたので、さらに飲みの席は増えています。
なんだかんだ、月に5回は飲む機会があったと思います。

特に、祭りのときは、獅子舞の練習後に必ず飲むので、毎日のように飲んでいました。

このサイトについて

このサイトでは、私がこれまで経験してきた飲み会やお酒についての知識を書いて公開しています。

私はお酒が飲める体質ですが、飲めない方の辛さは想像できます。
私はお酒が好きで、飲み会でもお酒のおかげでテンションが上がり、コミュニケーションを取れています。

でももし、自分が飲めない体質だったら、きっと飲み会の場で何も話せないでしょう。

下戸の方を「可哀想」とは思いませんが「不便だろうな」と感じることはあります。

このサイトを元に、読んだ方が、肉体的にも精神的にも少しでもお酒への抵抗をなくせたら良いなと思います。

「なんとしてでも下戸を克服したい」という方は、坂上太一さんのレポートを読んでみてください

もし、「なんとしてでも下戸を克服したい!」という方がいれば、下記のレポートを読んでみてください。

坂上太一さんという、下戸の方が書いたレポートです。
ビールを1口飲んだだけでダウンしていた状態から、2リットル飲んでも平気なまでになった方法が書かれています。

私もこの克服方法を実践してレビューしてみました。
興味のある方は、「実践レビュー!アルコールパッチテストで医者に下戸認定…を買って試しました!」を読んでみてください。

お酒が飲めるようになる方法
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