「下戸は甘党」という言葉を聞いたことがあると思います。
これは文字の通り、「お酒が飲めない人、いわゆる下戸は甘いものが好きだ」という意味の言葉です。
しかし、実際にお酒が飲めない人がみんな甘党なのかというとそうでもなく、辛党の人もいれば、お酒飲みで甘党の人も大勢おられます。
科学的な根拠がある訳でもありませんでした。
ではなぜ下戸は甘党と言われるのでしょうか?
今回は、その由来について調べてみました。
[cc id=”728″ title=”続きを読む”]
説1:万里の長城を建設するとき、上戸を守る兵士には「酒」、下戸を守る兵士には「甘いもの」を配ったことが由来
下戸は甘党という言葉の由来は諸説ありますが、一説によると、下戸は甘党という言葉は中国の秦の時代まで遡るそうです。
始皇帝が万里の長城を建設するときに、寒い上の門(上戸)を守る兵士には「酒」、寒くない平地の門(下戸)を守る兵士には「甘いもの」を配ったという話があります。
酒飲みの『上戸』と甘党の『下戸』。
この言葉のいわれは秦の始皇帝に関する話で、始皇帝が万里の長城を建設する際、寒い上の門(上戸)を守る兵士には、身体を温める酒を配り、それほど寒くない平地の門(下戸)を守る兵士には甘いものを配ったという。
これが由来で、酒好きを上戸、甘いもの好きを下戸と呼ぶようになった、と言われています。
真偽は定かではないですが、遠い中国の昔の逸話が上戸・下戸の名前の由来になったというのはおもしろいですね。
説2:歴史上の著名人に「下戸で甘党」だった人がいたため
もう一つは、歴史上の有名人の中で、下戸で甘党だった方がいたためだと言われています。
芥川龍之介
まずは誰もが知る大正時代の文豪である、芥川龍之介。
自身の小説にも書くほど、自分を下戸で甘党であると考えていたそうです。
随筆『しるこ』の中では、関東大震災以降、東京で汁粉屋が減ってしまったことを「僕等(ぼくら)下戸仲間(げこなかま)の爲には少(すくな)からぬ損失である。
のみならず僕等の東京の爲にもやはり少からぬ損失である。」と書いています。
西郷隆盛
次に、鹿児島では今でも人気者である、薩摩藩藩士の西郷隆盛。
彼はお酒飲みのようなイメージがある方もおられますが、実はお酒が飲めない下戸で、大の甘いもの好きだったそうです。
喫煙者だが下戸。
大の甘党で、「とんこつ」という薩摩の豚肉料理が大好物であった。
この食生活のため晩年は肥満していた。
他にも下戸で甘党の有名人は多い
他にも、戦国時代の英傑である織田信長や、日本海軍の第26、27代連合艦隊司令長官の山本五十六も下戸で甘党だったという説があります。
最近の有名人でいえば里見浩太朗さんや、水谷豊さんも同様に下戸で甘党であることが知られています。
過去の偉人や有名人の方々の中でも下戸で甘党の方は多くいらっしゃるようです。
このような背景から、下戸は甘党という言葉が世間に浸透していったのではないかと言われているそうです。
コメント